2024年4月1日に施行された改正障害者差別解消法により、民間事業者に対する「合理的配慮の提供」が法的義務となりました 。ウェブサイトやアプリケーションにおけるアクセシビリティの欠如は「社会的障壁」とみなされ得るため 、障害のある利用者から具体的な配慮(例:情報へのアクセス、操作方法の代替手段提供など)を求められた際に、過重な負担がないにも関わらず対応を怠ると、この法的義務に違反する可能性があります。
前回の分析で、米国のような損害賠償請求を主目的とした訴訟が日本で直ちに多発する可能性は低いと評価しましたが、ウェブアクセシビリティに対応しないことのリスクは決してゼロではありません。以下に、想定される主なリスクを解説します。
1. 法的リスク:行政指導、過料、限定的な訴訟の可能性
改正障害者差別解消法違反に対する直接的な罰金や刑罰はありませんが 、以下の法的リスクが存在します。
- 行政指導(主務大臣による措置):
- 事業者が合理的配慮提供義務に違反している疑いがある場合、事業を所管する主務大臣は、事業者に対して報告を求め、必要に応じて助言、指導、さらには勧告を行う権限を有します 。
- これらの措置は、特に違反が繰り返され、自主的な改善が期待しにくい場合に取られる可能性があります 。行政指導のプロセスは、まず事業者からの報告徴収、それに基づく助言・指導、改善が見られない場合の勧告、という段階を踏むことが想定されます 。
- 過料(罰則):
- 主務大臣からの報告要求に対し、報告を怠ったり、虚偽の報告を行った場合には、20万円以下の過料が科される可能性があります 。これは、差別行為そのものではなく、行政への協力義務違反に対するものです。
- 損害賠償請求(民法):
- 障害者差別解消法自体には私訴権(個人が直接訴訟を起こす権利)の規定はありませんが 、合理的配慮の提供を怠ったことが原因で損害(精神的苦痛を含む)を受けたとして、民法第709条の不法行為に基づき、事業者に対して損害賠償請求訴訟が提起される可能性は理論上存在します 。
- ただし、原告側には事業者の故意・過失、権利侵害、損害、因果関係の立証責任があり、ハードルは高いと考えられます。また、日本の裁判所が認める損害賠償額(特に慰謝料)は、米国と比較して一般的に低額になる傾向があります 。
- 地方公共団体条例に基づく措置:
- 一部の地方公共団体(例:東京都、千葉県、大阪府、横浜市、仙台市など)では、独自の障害者差別解消条例を制定しており、国よりも踏み込んだ規定(例:事業者による合理的配慮提供の早期義務化、あっせん案不遵守の場合の勧告・公表など)を設けている場合があります 。事業所が所在する自治体の条例内容を確認する必要があります。
2. レピュテーションリスク(評判への悪影響)
法的な措置に至らずとも、ウェブアクセシビリティへの対応不足は、企業の評判やブランドイメージに深刻な悪影響を与える可能性があります。
- 企業イメージ・ブランド価値の低下:
- アクセシビリティ対応を怠る企業は、障害のある人や高齢者など多様なユーザーへの配慮が欠けている、あるいは社会的な責任を果たしていないと見なされる可能性があります 。これは、特にインクルージョンやダイバーシティへの関心が高まる現代において、企業の信頼性を損なう要因となります 。
- 逆に、アクセシビリティに積極的に取り組む姿勢は、社会貢献意識の高い企業として評価され、ブランドイメージ向上に繋がります 。
- 社会的批判・炎上:
- ウェブサイトが利用できないことによる具体的な不利益や、事業者側の不誠実な対応(例:「特別扱いはできない」と対話を拒否する )などがSNS等で拡散された場合、社会的な批判を浴び、いわゆる「炎上」状態に陥るリスクがあります。
- 過去には、職場における障害者への差別的な言動や不当な扱いが問題となった事例も報告されており 、ウェブアクセシビリティの問題も同様に、企業の差別的な姿勢として捉えられかねません。
- メディア報道:
- 行政指導や勧告を受けた場合、あるいは訴訟に発展した場合などは、メディアで報じられ、企業の評判にさらに大きなダメージを与える可能性があります。
3. ビジネスリスク(機会損失)
ウェブアクセシビリティへの未対応は、潜在的な顧客を逃し、ビジネス機会を損失することにも繋がります。
- 潜在顧客の逸失:
- 障害のある人や、加齢により視力・聴力等が低下した高齢者にとって、アクセシブルでないウェブサイトは利用が困難、あるいは不可能です 。
- 日本の高齢者(65歳以上)人口は増加しており、インターネット利用率も上昇傾向にあります 。また、障害のある人のインターネット利用率も高い水準にあります 。
- アクセシビリティの不備により、これらの層(および一時的に怪我をしている人なども含む )が情報収集や商品購入、サービス利用を断念した場合、企業は大きな潜在市場を失うことになります 。
- SEO(検索エンジン最適化)への悪影響:
- ウェブアクセシビリティ対応(例:適切なHTML構造、代替テキストの付与など)は、検索エンジンがサイトの内容を理解しやすくすることにも繋がります 。対応を怠ることは、間接的に検索順位に悪影響を与える可能性があります。
- ユーザーエクスペリエンス(UX)の低下:
- アクセシビリティへの配慮は、障害の有無に関わらず、多くのユーザーにとっての使いやすさ(ユーザビリティ)向上に繋がります(例:明確なナビゲーション、適切なコントラストなど)。アクセシビリティが低いサイトは、全体的なUXを損ない、ユーザーの離脱を招く可能性があります 。
結論
改正障害者差別解消法の下で、ウェブアクセシビリティに対応しない場合のリスクは、単に法的な制裁の可能性に留まりません。行政指導や過料のリスクに加え、企業イメージの毀損、潜在顧客の喪失といった、事業継続に影響を与えかねない多面的なリスクが存在します。
特に、合理的配慮提供が法的義務化されたことで、障害のある利用者からの具体的な申し出に対する事業者の対応は、これまで以上に重要性を増しています。アクセシビリティへの取り組みは、単なるリスク回避策ではなく、多様な人々を包摂する社会の一員としての責任を果たし、より多くの顧客にリーチするための重要な経営戦略と捉えるべきでしょう。